Your call sign
ということでやっとみにいきました、Your call sign。あらすじ。ネタバレ中尉。どこにでもいる平凡な高校生だった瀧くん。ずっと何かを探している気がする、そんな新〇誠的感覚に恵まれた彼は、大成建〇株式会社のCMに胸を打たれ、就職活動を無事再開していた。なんとか社会のビッグウェーブに乗り遅れなかった彼は、しかし、自分がどうやって童貞を捨てたのかもおぼつかない。一方、どこにでもいる平凡な貧乳である三葉は、町外れの麦畑に建設中だった高速道路、その建設が決まったとき町長が得意げに演説したことを覚えている。ただ町の横を素通りするだけの道であったのに――。貯金もたまりアーロンチェアを購入するほどにまでなった瀧くんの人生を待ち受けるのは、ISAF加盟国の集団的自衛と平和維持を目的とし、加盟国が武力攻撃を受けた場合、他の加盟国が軍事的にその国を援助する、大規模な国家間同盟機構だった。3年前、ロシュ限界を突破した小惑星ユリシーズ (Ulysses) の破片を大気圏突入後に燃え尽きる大きさに砕く目的で開発された、火薬による発砲と電磁加速を併用したハイブリッド式地対空レールガン。正式には『120cm対地対空両用磁気火薬複合加速方式半自動固定砲』と呼ぶ。本来の目標である隕石ばかりか、約650海里(約1200km)の射程圏内で高度2000フィート以上を飛行する航空機に対しても絶大な破壊力を有していた。サンサルバシオン国内の砂漠地帯に8基設置されていたが、小惑星ユリシーズの衝突によってエルジア共和国首都付近にその破片が落下、数万人が死亡する。これを含め大小10個の隕石が領内に落下し、ユージア大陸内に存在する国家の中でも特に大きな被害を受ける。しかし、大陸全体で数百万人といわれる被災難民の最大の受入れ先として期待されたため、60万人以上という大量の難民が校庭に押し寄せ、結果的に同国に押し付けられる形となってしまう。これが元々対立状態にあった他諸国との更なる関係悪化を招き、開戦のきっかけとなる。スマートフォンがなる。これってもしかして、俺たち、早速だが出撃任務?!先ほど早期警戒レーダーが敵の工作員に破壊され、爆撃機数機が領空に侵入した。 敵は15分後にアレンフォート飛行場上空を通過、それを爆撃したのちノースポイントへ向かうつもりらしい。 我が軍の防空火力は脆弱で、総司令部は張り子の基地も同然だ。こちら管制機スカイアイ、聞こえるか?君のコールサインは、えーと、なんだっけ?貴機はこちらの管制下に入った。まもなく爆撃機が見える、全機撃墜せよ。今日は俺の誕生日だ。花澤香菜をプレゼントしてくれ。次回 Your call sign第6話「無敵艦隊封殺」さーて次回も、エンゲージエンゲージ。
エースコンバット04 シャッタードスカイ - Wikipedia
※上記リンク先より随所引用改変しました、こんなしょうもないことに。。。
あらすじおわり。きっと東京と田舎という2項を使った批評もたくさん書かれていることだろうと思う。これっていつ公開されたものだったっけ。だいぶ、公開から時間も経ってしまって、朝の番組での特集なんてしょっちゅうで、そのたびにテレビから離れたりチャンネルを変えたり、ブルーレイになるまで待つかとも思っていたけど我慢できず。平日の昼間にしては、お客さんいたほうではないだろうか。とくに目を引いたのは、この映画カップルで見る人がおおいみたいなはなしもあったけれど、初老くらいの夫婦の数!こういう人たちが見てるから興行収入も底上げされているのかもね。夫婦でみたりカップルでみたり、うーん、それにぴったりな内容だと思います。とくに感想もないけど、たしか元元元彼女がいいことをツイートしてたような気がする。まさに。でもより心を打ったのは、シンジュクやそこらの夜景だった。タケモトくんにむりやり連れられてなんども高いところから見たシンジュクシティ。いまぼくは遠く離れたウエストサイドにいるけれど、あの風景があのころと変わらず、そして少しずつ変わりながら、3年やそれ以上の期間のズレをどう自分に釈明するのか。行ったことのある、住んだことのある街について話す口ぶりは、どこか懐かしい。そろそろ電車で遠くまで人に会いに行くのをやめてくれ。
あと今朝はやく起きていると〇〇〇さんのツイートをRTしてブチ切れている人がいた。たしか、音楽の聞き方に対するなにか?言い方も含めてキレがある感情の摩天楼ツイートをなぜ人は消してしまうのか。是非もう一度投稿してほしい。
ぼくはと言えば、ここ最近「武本宗一郎の憂鬱」というタイトルで小説を書こうと思っていたのだが、それがまた今日いちだんと深まった。
20161113
こんかい見つけた、といってもぼくが見つけたのでは到底ないだろう、使えるようになった、なってはいないだろう、ひとつの雛形になりうる仕組み、みたいなものをこんご使って、なにかを前向きに仕上げていきたいなとあらためて思った。自身初の量産が可能かもしれない。けっきょく、きっかけでしかないのに、いままでそのきっかけでジャンプしないで、火がついた導火線のままどこにもたどり着かない導火線のようにどこかへ散逸していったはずのなにかの活力みたいなものがいまなんだかあって、こうしてこの時間まで眠れずにいる。そしてそして、人の書いたものにここまでおもしろいと(無邪気に?)(遠さ由来の?肌の?)感じる日々がなつかしく、まあたらしく、なにかの啓示かとおもうくらいにいっぺんにぎゅっとやってきて、困惑もしている。どういうことか。わからないけどただ予感だけ。祝福を。祝福を。
ピュアということに惹かれる
物に名前がつく前の物みたいなことを数日のうちにまったく別の関連のところで見てなるほどと思った。なにかの音楽について書こうとして、音に名前はあるのかと。あるよね。でも、それはいつから? わたしは秋から! ^x^秋も深まりを見せてきたのが朝起きて洗濯をするルーティーンのベランダでサンダルをはく瞬間に思われたりだとか、夜中コンビニにたばこを買いにいくときのやけに静かな道だったりとかでわかる。誰も息すらしていない。久しぶりに部屋でひとりでビールを飲んで、その部屋が寒いと感じるふしぶしの既視感がたまらなく懐かしく思えてならず、それはそう、思えば長らくひとりで冷たい床に座って画面に向かう時間もなかったのだなといま思う。どうあれ秋は感傷に響け。朝起きて洗濯をしにベランダのサッシを開くと同時に流れ込んでくる冷気とともに俺の脳内では秒速何センチメートルかのようなナレートがそのうつろいゆく季節のさまを勝手気ままに述べ立てて行くが現実にはなにも俺を物語るものはない。そうはいっても冬はどうでもいいことをうだうだ言いたくなる。夜になると不安になる人種がある程度いる。俺はそんなことないが昨日コメダ珈琲で優雅なモーニングのあと、友人がもう無理なんだと言った。もう無理なんだ。トーストが分厚くてやわらかい、俺も一度はそういうことを言ってみたい。そいつと一緒に常日頃やっているゲームで、言い方は悪いがものすごく下手だと思うやつと2試合連続でマッチングした。おそらく最近はじめたのだろうということが見て取れたが、味方のちょっとしたミスを責め立てるようなチャットが少し気になって、というか相当ひっかかって、それも別に言い方としてはごく平凡なただの指摘にすぎないのだが、どうも俺は気になること/気にならないことのあいまが曖昧で、基準もなく、どうでもいいことがどうでもいいことのはずなのにいやに大きく自分の目に映ったりして、そういうときは気になることとしてこうやって、そのときもひっかかってしまったわけで。下手くそががたがたぬかすな! と自分の腕前は棚に上げてこころのなかでプンプンしていたわけだが、あとでそいつのプロフィールを見ると、プロフィール内の、名前をつけていろいろな設定を保存できるページにそれぞれの用途・場合のバリエーションごとに細かくびっしりしっかりと書きこみがしてあって、そんなの別に気にするほどのことじゃないだろうという設定まで組んであって、整理整頓というんじゃとてもたりない謎のおさまりみたいなのすらあって、こんなの別に気にするほどのことじゃないのだろうが、俺はなぜかものすごく感動してしまったというはなしをいまから書こうと思う。つまり、どこからかの他人の設定の流用なのだろうが、だろうがであるまいが、その多くのページを、いちいち書き込んで、保存して、少し考えたりして、あの一緒に戦ったあのときもそのどれが状況に合っているかそいつは検討したはずで、でも下手くそで、そういうところがたまらなく愛しく思える人間のよいところではないのか? 俺はそいつがそのページをきっちりと埋めるまでのおそらくわずかな尊い時間を思いながらこころのなかのプンプンがきれいに消え去っていくのを感じた。人間、理論立てて言ってみたり、頭ではわかっているつもりでも、実際にできるかどうかはまたわからないもんなんだ。たぶん。わかってるのに、できない。わかってるけど、うまくやれない。なにが本当の「わかる」なのかということはまた置いておくとして、そうやってわかってるけどうまくいかない人間の動きのちぐはぐさがたまらなく愛しい。ノータイムノーライフ。試行錯誤に肉体があるということか。谷内某さん風に今回は終わりたい。そのときのことを思い出す。
自分は、同じことしか言ってないのではないか
この4ヶ月の空白を考えると、いままさにブランクの真っ只中にいるのだなとあらためて思う。それでもいろいろなことがあったが、結局、食って寝て、うんこを生産する以外にしたことはほぼなく、明日からもそのような生活が待っている。日付がこくこくと変わるのを昼頃になって感じいるが、夜中、日を越した頭で考えるそれとじっさいに寝て起きてはじまる日のどちらが自分の立つ生活なのかわからないまま、これは去年も、その前もずっと思っていたことだが、ささいな家事のもとでとてつもない速度で時間が過ぎていき、また夜がくる。そして餌を与えてもらい、酒に酔い、気分が良くなったところで好きなように寝る。ハムスターとどこが変わらないのか。会話はある。Skype、Teamspeakはすばらしい。まったく距離を感じない。距離を感じないといえば、東京のひとたちとも、なぜかまったく離れている気がしない。まだまだ、会えているほうだからだろうか。おなじ東京の、電車でひょいと行けるところにいても、そりゃあ、会うとは限らないし。またおそろしい速度で時間が過ぎるなかで、こんなふうに離れた気がしないと思っていたことが遠景のように、ちいさくちいさくなっていく関係なのだろうか。ツイッターの首がどうにもまわらないらしい。ツイッターがなくなれば、みんなどうするのだろうか。僕らはまた同じように、つぎのあたらしいどこに行くのだろうか。そう思うと、馬鹿馬鹿しい姑息な土壌のうえで毎朝毎晩なにかが流れてくるのを見ているに過ぎないのだなとすこし悲しくなってくる。まえも言ったように、何年もかけて見つけていった人たちに、自分からさよならするのは難しかった。とても。大きな地震があるとどきっとする。こちらもすこし揺れた。遠くで大きな地震があったなと思わせるような揺れ。よく地震ソムリエとかいって揶揄されるが、どのようにその揺れを感じたのか、とっさに言ってしまうこの感じはもう仕方がない。なによりもまずからだが覚えている。ようするにこわいんだ。地図にはけして書かれない人たちを思う。熊本、いろいろなことが着実に進み始めた。これはInstagramにあるとおり。年季の入った柱を見る。庭にあった梅の木が根こそぎとられて、いまごろ、材木チップにでもなっているのか? 春先になると本当に美しい花を咲かせる。それを縁から見てばーちゃんと一緒に桜より梅が好きと言った。あとから業者に聞くと、取っておくこともできたとかなんとか。雨でも降らねえかな。いずれお前が住むのだから、お前の好きな要望があればなんでも言えと言われている。40年後のことが誰にわかるだろうか。本当におれがあそこを終の住処にできるだろうか。そう言われるがまま適当に返事をしてああ夢物語。見通しもなくとうぜんなんの実感もなく。そう思ったとおりにいくわけがないじあゃないか。人生は。ユア・ネームをまだ観ていない。正確に言うと観にいけてない。むしろこれが、なんらかの自分のこだわりである可能性もある。でも、いったいなにの? ポップコーン!