はくにゃんの調書

日記、何もしていないことに気がつく

110、そして

実家に過ぎてもう何日たったか、最近、父親が施策した「小でも座ってするように」というものに反して、立ちながら1月で止まったままのカレンダーを眺める。それはトイレにある。
僕は、車での移動は嫌いではない。卒業旅行という、卒業からつかず離れずの身分としてはいささか疑問の余地のあるものを過ごし、そのなかで車に酔ってしまう人も当然いた。多人数の圧迫感と当然の揺れ、発進、停車、曲がるとき片方の肩によりかからずとも触れ、踏ん張り、社内特有の(喫煙車でありながら、全くその匂いは感じられなかった。ただ感動があったが、それでも)醸し出されているような気のするある固有の匂い。それに酔い、人に酔い、生きるということに酔い…それでもただじっと黙って、フロントガラスの向こうを見やる姿勢を、車窓よりもはるかにはっきりと僕は記憶している。
それと比べると旅に付随する自分の「腹痛の心配」、それはからっきし心配に過ぎない、しかし圧力である。僕はこれが耐え難く感じられる。
といっても、旅程を同じくした頼もしい仲間の支えによって、無事。
それには感謝だ。スマートフォンの電源は切れていて、うーん、そうじゃなくとも、一枚も写真をとらなかったこと、これがすこし心残りとしてあるにはあるが。
(松山から実家に戻り、酔った父に金毘羅宮に初めて行ってきた、階段にも登った、と伝えると、お前はみっつくらいのころ、祖父と一緒に(それこそ、祖父は漁師だった)行ったことがあるじゃないか、と言われた。呼ばれている気がしたわけだ、どおりで…)

実家には要件を伝えにいった。
父は「ガックシ」と云ったっきり、変わらずふたりで酒を飲んでいる。
母親はそれ以前になににそんなにお金を使っているのかと僕を叱る。なにを買っているわけでもないんでしょう。
あのね、それは僕にもわからない
時間を買っているんだよ
たぶんね
みな、自分のしたいことをするために、バイトをしている。たいへん立派だと思う。僕は、バイトをするくらいなら我慢をえらぶ。そしてそう言いながら、実は不自由なくやりたいことをやっている。これが脛を、ね
そういう、だんだん、後ろめたさが出てくる。

昨日、小野正嗣の九年前の祈りを読んだ
マンションの、一階上に住む家族の、まだ小さい男の子が走るトコトコという音を聞きながら
みみず、ミミズ腫れ、みず、痣について
つよく撚る腕について
セルライトという明るい響きについて
手を合わせるということについて
熊本、天草、西南学院大学について…
そのあいだ、ずっと父が隣でテレビを見ていた

今日は、詩文庫の城戸朱理をなんとなく
通してみた、一篇目から読むというそれだけだ
変だなあ、おかしいなあと思うが続けルのだ
だんだんと、そこにある種の文体というか、回路のあることがわかってくる気がする、
その発見だ。そこからようやくはじまる
気がする、気がした…
その、一篇目に、全ての装置は揃っている、と後の詩人論、作品論で陣野俊史が言っていて
やっぱりな、と思う
この「詩のエチカ」と題された論考は、例の語法を分類して頻度たらしめた気味の悪い表がやはり際立つが、
ところで、陣野俊史とは、僕の知っている、みんなの知っている、あの、陣野俊史か?
だとすると、またしても、遠ざかってからその業に気がついてしまった、
気がする、だとすると、
あの陽気な語り口は、いったいなんだったのだろうか
おかげで僕は、なにも
予感することのできない無能だ
ということが、身に沁みる。
ヴェールだねぇ

吉岡実だって
読んでねぃから、うるせえ
ところで、吉とつく詩人は多い
気がする、
そこで、僕の名も「吉川」に改めたい、
もちろん読み方は「きっかわ」とする
サングラスをかけて、セーヌ川
波間の光を穏やかに直視する、その頃
インドのガンジス川では、木浴の傍らで
人が流れていくのを見る、いったい
どうやって。