はくにゃんの調書

日記、何もしていないことに気がつく

アメリカン・スナイパー

ということです。ふつうの文字の打ち方を切実に教えてほしい
こだわりがあっての文字の大きさ、フォントではないです
行間も気になる。
別に何があったわけではないが、いろいろあるしまだまだやっている映画なので
ネタバレ嫌な人は戻ってどうぞ












呼ばれているから観なくてイイやと豪語していたが結局観に行った
ぼくはあの映画館で、こうやって、坊主頭のときから
いろんな映画をみてきたな、そのなかでも最も重く帰り道を歩いた
そういうことが起こった。
まず、妹がこう言う。彼女と観に来る人もいるみたいよ。おもしろいけど、
二度目はいいかな、ずっと歯を食いしばり続けるんだって、そういうものらしいよ
観ているあいだ

なるほど。確かに、血もたくさん出るし、戦闘シーンも当然、特に僕は拷問が
苦手で、そういうものだ。
終わり間際、退役兵が「タマに響くぜ」と言うシーンがある。
主人公が、照準を覗くとき(…私はそういう用語、専門知識に疎い。なので、アホに見える)
スコープのむこうに目標を捕え続けるとき、その低い音響は
僕の腹の底へと向かって放たれたように感じる。そうして僕たちは
身構える、次に来る銃声のために
いま感じている、腹を震わせる音よりももっと強烈な、リーサルな衝撃が来る瞬間のために

いま、少し思うのは
僕はいくらか、いまの戦争映画(_?)が、どのような戦闘シーンを描くのだろうか
という、見物をしにいくような気持ちで向かったところがある
そうして実に、迫力のある(_)それらしい(_)リアルな(_)画が
実現されていた。そうしていま、少しそのとき、思うのは
戦争映画を、このような映画を、戦闘シーンで語るのは、もう少し時代遅れかな、ということだ。
少なくとももう僕はそのシーンについて、なにも言うことがない
そんな気がしている。
何故かと言うと、もちろん、この映画が(そしてこの映画じゃなくても)
戦争というものが、戦争は、戦場だけで完結するものではないからであるし、
構成上、主人公(実在の人物、そのモデル)は戦場と娑婆に行ったり来たりしている。
という、構成で形成されているからだ。(_)
僕が思うのは、戦場が大本営の発表、新聞、ラジオだけではなく、
ビデオなどの映像、携帯電話、そして多くの退役軍人によって、社会に世間に
僕たちの(_)僕の日常へと接続されているという、そのこと
だからどうしたと言うのだろう



いま少し恥ずかしいのは、僕はわずかでも
ふつうの!人よりは戦争(映画)に興味があったつもりでいるし、観てきたつもりでもいる
でもこの作品を観て、僕はなにも言えなくなってしまったという点だ
自分でもこんなふうになってしまうとは思わなかった
冒頭で重い、と言ったのは、もちろん血も、戦争も、たくさんあるけれど、
そういう点での話ではない
悪戯にでも人に銃口を向けること、伝説とまで呼ばれた主人公がPTSDの退役兵に撃ち殺されてしまうこと、
それが射撃訓練の場で起こったこと、彼の死が大勢の人に悼まれ、その背後に星条旗が掲げられたこと
遺族に星条旗が手渡されること(これはなんだろう)、下の毛も生えていないような子供を殺したドリルには
その音に振り向いてしまうのに「銃」自体に対しての描写が全くなかったこと、
弔砲の音に誰もが、奥さんが身体をすくめたこと、彼の自伝がいますぐにでも読めること
彼の自伝に、彼が彼の死についてなにも書いていないこと
そしてこの映画を
保守や賛美、左翼という言葉を組み入れて語る人たちがいること、そういう場があること
とにかくリアルだったという人がいること
感動するということ

僕は混乱している。
僕は何も知らないなぁと思う、そればかりが巣食う
僕は馬鹿だが、みんなも馬鹿だと思う
そういうことじゃないだろう
そういうことじゃないだろうということじゃないだろう
どういうことでもない
ただエンドロールの無音の時間に、僕がなにも考えなかったこと
そういうこと
もう今日はやめておく。
また次にする。