はくにゃんの調書

日記、何もしていないことに気がつく

もうひとつ

ワード検索で飛んできた人はがっかりしたと思う、べつにお願いしたわけじゃないけどね
とにかく生きるのはたいへんだ
メリケンスナイポを観た直後から少し間をおいて、多少は前後するが、焼き肉を食べ、母親がCMでみたというのでおおまかに少しその話をし。東京大空襲の夜、酔った父がランボーを思い出す。夜中まで起きていて怒られる(実家の嫌なところ)。あの日、僕は熊本にいた。今日も向かうバスのなかで黙祷の音を聞く。ひとことも。菜の花や 日付を掘り返せばきりはない。ミルフィーユの上皮を捲れば。立つことを忘れ、読めもしない字が消えていくのをえんえんと見続けるヴェルダースの系譜でもなしに。扉を閉めないでくれと、何故か思った。

前の記事を消してしまおうと思ったけれど、やめておく。「あやうさ」と呼んでいるのをツイッターで見て、それかな、と落ち着いた。原作のはなしもあるけれど。あやうさのまま大切にしよう。良いも悪いもない。


そうそれで
祖母の家に来たが、件のあれで泣かれてしまう。ごめんとも言えず。どうすればいいんだよ。安心させればいいのか。どうしろというのか。どうすればよかったのか。一方的に過ぎやしないか。そういう行使の仕方をするから!本当に俺が悪かったとすら書けないじゃないか!帰ってこなけりゃよかった、まったく、味方がいない!そんなこと言って