はくにゃんの調書

日記、何もしていないことに気がつく

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無事帰還する。
ワーナーのモノクロロゴの背にいわゆるむこうの人たちの「アッルアハァクバァル」が流れている。
なにも、おかしいところはない。

大きな声を出す反動で、母の運転する車に座っているあいだ、何もわかってないのは自分じゃないのか?暗い道を行くそのときのヘッドライトが力の大きさを雄弁に語っている。
僕は頭が悪いので勉強する。父が五時頃から飯の支度(というより全体的に飲む支度)をするまで。夏でいちばん近くの大きなショッピングモールが潰れる。文字通り、いまあるビルも跡形もなく崩され、更地になり、大通りを行くすべての人に日当たりがよくなる。その後は最低でも二年をかけて、人が住むためにマンションが建てられる。その間にも、どんどん日当たりが失われていく。陰ることしかなかった道が新しく塗りつぶされていく。その風景に耐えられない。この建物の上階に据えられた本屋に、僕は電車道を探しに行った。新刊、話題の本のコーナーを、ながめながら、僕は表紙カバーを知らないので、文字をだが、とうとう見つけることができなかった。売れない、読まれないのこんなに近くに、読むことができないがあるではないか、歩数を稼ぐみたいにして、歩き回って探すより、それはスマホポチポチで三日後くらいに届くほうがいいに決まっているじゃないかとすこし憤る。もちろん東京からの距離もあるが。どうせひっそりと消えゆく書店だ好きにしろ、バカヤロー
いま読まなきゃ意味がないんだよコノヤロ
メリケンスナイポの原作(?)を買って帰る。メリケンスナイポと書いてあった。
そんなことはない

髪を切る。限界近し。わかめを食ってさあ元気、美容室と理容室の中間ほどに位置する場所のいつものカットマンは知り合いの話をぺらぺらと話す。いまどきの顧客情報管理の目指すべき姿と照らしてみて大丈夫だろうかとは思う。生きていることがわかればそれでいい。積極会話のカットマン、ときおり現実の顔をする。僕がなんにせよ働くと大変じゃないことなんてないと言うときだ。もちろん笑うところだ

グッドモーニングベトナム
この人の顔好き
戦争ドラマと戦争のジャンルの違いがいつもわからないのでゲームを売るならさんに聞きたいとつねづね思いつつ。戦争ドラマの枠に置いてあるものを軽視し、戦争の枠にあるアホを観るもまぁ人生じゃないの
でもこれ、いかにもなアメリカンなBGMにのせてナムの痛ましい光景を映している
そこだけで観てよかったとなる
なぜならそれが力であるからだ

ザ・フューリー
ガックシ、濃いトロットロを期待していたが意外と乾いてるね、ところでブラピはどこ?なんつって、なんと僕は中盤までこれが例の「フューリー」ではないことに気が付かなかった。便乗タイトル改変どころの話ではない
怒りと失望に燃えたいところだったがいつのまにかちゃくちゃくと話がすすむ、丁寧といえばそうかもしれないが「うーん、普通」としか言いようのない味の麻婆豆腐のような映画、これを新作で借りたのさとほほ
はやく主砲とカメラを通してみたい

ハート・アタッカー
こちらも便乗タイトル臭がプンプンですね
言うまでもなく。そのせいで胡散臭さが増す
でも結構いい 奴等バカだな そのとおり
どうしようもなさがどうしようもなさと名前を書いてどうしようもないとため息をついてるようなもんだ
何かのサイトの記事かなんかでメリケンスナイポと合わせて観るとよいみたいにあったからとりあえず
彩○ロはいらん小細工せんでイラク大激戦2143とかいつもどおりタイトルつけとけばええんや
でも考えてみると、間違いを誰だって起こせるんだよな、糸張り詰める


とにかく電車道がないことが苛立たせる
まわった書店 大きめ二軒
たったの でも悲しいじゃない
三○物○は何をしているんだと言いたくなる

三食食うと元気

はせくらさんとの後悔の想い出をたくさんひとり思い出す。ああすればよかった、こうすればよかった、なんて僕はバカヤローなんだ!そういうこと。終わりの兆候かもなと、予定というか調和してる気にだけはなってる
たとえいやでもいやだとは言いにくい
そういうことばっかりじゃないか

起きたら東京に
俺の背中に青白いワーナー
見えている
沈黙の沈黙をたたえて