はくにゃんの調書

日記、何もしていないことに気がつく

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今日という日に…( )
塚本晋也の野火を
キメてなきゃ辿り着けないような名前の場所まで
道玄坂を登ればつくよという
なんの助けにもならない声をたよりに
渋谷を一時間ほど周回し、
三時ので観て、
五時すぎに
スクリーンで
計画だった。
着いたのは三時を少し過ぎたところで
sigh
仕方なく渋谷を一時間ほど周回し

野火を観ました。
まず、浮かんだのはシンレッドライン…
豊かな自然…小船に乗る若い男女…
具体的な予備知識は無しに…
そういえば大岡昇平のそれは
ゼミで読んだなとか思いながら
十字架を待ちわびた。
後に購入した解説パンフレットのなかで
シンレッドラインの名が実際に挙がっており、
或いはコッポラの地獄の黙示録
の名がトークショーで監督自信から告げられ…
朝のナパームの匂いは…
普遍的なもの( )を描こうとすることの
なにかの連鎖を誘発することが
私の(見た数は少ないなりに)戦争を扱った映画の好きなところです。
焦点は力にあるのかもしれない、
たとえば腕の力、足の力、眼の力、
その拡張の銃の力、想像を超えた
航空機、爆弾、大砲、望遠鏡…
そういうものの力を思い知ること…
朝のナパームの匂いを
忘れられなかったという…
本物の火の威力…
燃える小屋の 火の燃える音が腹に響き
あるいは夜中、見えない敵機からの機銃掃射や
必ず見えないところから飛んでくる銃弾の音…
そういうものが座っている僕の腹に響く
心拍数が上がる
そういう体験
立ちすくむことさえままならないだろうなという
どうしようもない想像をかきたてられた
気がする

死体について
人が倒れ、血溜まりができる
それじゃあ不十分というか、
生きてる人が見て、こうまで酷いものかと、
或いは、ああはなりたくない、
そういうもの、ただのものと化した死体を
求めなければならないと思ったと
こういうことを後に仰っていた。
僕はT君が半ば押しつけるようにして
貸してきたライフ・アト・ウォーのことを思い出していた
つまり、名前も知らない人たちの
死体の山の写真を…
口は歪み、目は開き、或いは同じように閉じられた目の
口の形、歪められたとしか
言いようのないものを
描こうとしたこと(の価値)を感じた
T君とはライカでグッドバイや
その他のことでわかちあってきたつもりだが
今日という日ほどそのめぐりあわせに感謝した日はない
あいつは俺にライフアトウォーを見せるために
姿を現したに違いない。
血がどのように流れるか…
処刑の瞬間のあの動画のように
血がぴゅーと吹く
腕も脚も飛ぶ
腕のない兵士ふたりが、転げ落ちた腕を同時に掴む
どちらの腕だろうか?
死の間際にあって、落ちた腕を拾うってことの
おかしさと、きっとそうかもしれないという
確信めいたこの感じ…
オマハでもどこでもあったことかもしれない…
目を覆いたくなった
正直怖かった、そういう類の
演出、つくりもの、でも
これ以上の光景が、きっとあったということを
想像させる、それを迫る映像…
キャパがこの場にいたら、こういうふうに撮っただろう
ブレブレの一人称的なキャメラ…
:またこういうことを言い出して
つまらなくなる…

こういった
狂気の種が
自分のうちにあるのではないかと疑うこと、
あるいはきっとあると信じること
こういうことの言及が
パンフレットにもあった(と読んだ。
わからん。今夜はすこし)
うんだから、自分がなにかそういう作品に触れて
考えていたこと、感じていたことが、こういうものだったかもしれない、
というふうに助けたりするような気がして
とにかく、観てよかったとおもう。
戦争反対だなんて、わかりきったことじゃないか、
そうはいうけど
反対とかそれ以前かもしれない
たばこをとろうとして
しゃべっている途中で
突然撃たれる
画面の外で
大きな音がして倒れる
後の席の人が、びっくりしてか
僕の背中をどんと蹴った
同じように手榴弾は突然爆発し、
飛行機は預かり知らぬところで飛んでいる
ハエはどこから来るのかわからない
渋谷なんて大嫌いな街だけど
頑張ったかいがあった、
自分がその場にいたら、きっと立ちすくんで、
なにもできずにのたれじぬだろうということを
想像すること…
戦争には熱狂もあるかもしれない、
狂気はあてられるというより、そのうちに発現するものかもしれない
自分が絶対そうはならないと言えない、
その場にいないとは言えない、
だからその身をスクリーンに映して
見るし、聞くし、振動を感じる
死の振動を
そういうことの怖さと
想像することを…