読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

はくにゃんの調書

日記、何もしていないことに気がつく

自分は、同じことしか言ってないのではないか

この4ヶ月の空白を考えると、いままさにブランクの真っ只中にいるのだなとあらためて思う。それでもいろいろなことがあったが、結局、食って寝て、うんこを生産する以外にしたことはほぼなく、明日からもそのような生活が待っている。日付がこくこくと変わるのを昼頃になって感じいるが、夜中、日を越した頭で考えるそれとじっさいに寝て起きてはじまる日のどちらが自分の立つ生活なのかわからないまま、これは去年も、その前もずっと思っていたことだが、ささいな家事のもとでとてつもない速度で時間が過ぎていき、また夜がくる。そして餌を与えてもらい、酒に酔い、気分が良くなったところで好きなように寝る。ハムスターとどこが変わらないのか。会話はある。Skype、Teamspeakはすばらしい。まったく距離を感じない。距離を感じないといえば、東京のひとたちとも、なぜかまったく離れている気がしない。まだまだ、会えているほうだからだろうか。おなじ東京の、電車でひょいと行けるところにいても、そりゃあ、会うとは限らないし。またおそろしい速度で時間が過ぎるなかで、こんなふうに離れた気がしないと思っていたことが遠景のように、ちいさくちいさくなっていく関係なのだろうか。ツイッターの首がどうにもまわらないらしい。ツイッターがなくなれば、みんなどうするのだろうか。僕らはまた同じように、つぎのあたらしいどこに行くのだろうか。そう思うと、馬鹿馬鹿しい姑息な土壌のうえで毎朝毎晩なにかが流れてくるのを見ているに過ぎないのだなとすこし悲しくなってくる。まえも言ったように、何年もかけて見つけていった人たちに、自分からさよならするのは難しかった。とても。大きな地震があるとどきっとする。こちらもすこし揺れた。遠くで大きな地震があったなと思わせるような揺れ。よく地震ソムリエとかいって揶揄されるが、どのようにその揺れを感じたのか、とっさに言ってしまうこの感じはもう仕方がない。なによりもまずからだが覚えている。ようするにこわいんだ。地図にはけして書かれない人たちを思う。熊本、いろいろなことが着実に進み始めた。これはInstagramにあるとおり。年季の入った柱を見る。庭にあった梅の木が根こそぎとられて、いまごろ、材木チップにでもなっているのか? 春先になると本当に美しい花を咲かせる。それを縁から見てばーちゃんと一緒に桜より梅が好きと言った。あとから業者に聞くと、取っておくこともできたとかなんとか。雨でも降らねえかな。いずれお前が住むのだから、お前の好きな要望があればなんでも言えと言われている。40年後のことが誰にわかるだろうか。本当におれがあそこを終の住処にできるだろうか。そう言われるがまま適当に返事をしてああ夢物語。見通しもなくとうぜんなんの実感もなく。そう思ったとおりにいくわけがないじあゃないか。人生は。ユア・ネームをまだ観ていない。正確に言うと観にいけてない。むしろこれが、なんらかの自分のこだわりである可能性もある。でも、いったいなにの? ポップコーン!

 

部屋にあるものがばらばらでどうにもしっくりこない。片付けではすまないなにか法則が必要。