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これがどの大きさで、どのように見え
見出しなのか、平の文字なのかわからない
そのような状況下で文字を打つのは苦痛だ
HTML編集でやれということなのか
なにが正しいのか
最近、筋トレを日課にしている。ひとつは服を着ようと思ってのことだ
腹筋ローラーによるものと腕立て、あとは肩幅ほどに開いた足のスクワット、
この程度で筋トレというか体操に近い
スクワットは膝の位置に気をつかって、すこし擦り減るが
比較的、心地よい。
超回復などまったく考慮せずに、気のままに続けている
俺は猫だ
実は、成果もあってか、2回ほどでへばっていた腹筋ローラーもそこそこ伸ばして回数を増やすことができるようになっている。逆に、それまで感じていた腹筋への負荷、これを感じにくくなっている。筋肉をトレーニングする際、そのとき鍛えていると思われる個所に意識を集中するのがよいと
どこかで刷り込まれている。開始当初は、1つの往復がすでにその臨界だった。
効いているというのがよくわかるような気がした。これが楽しさのひとつであるかもしれない
いまはそれがわかりにくい。回数を増やしてみるが、フォームが悪いのか腰や腕などに負担が来ている気がする。嫌な筋の力の入り方を感じる。それが嫌だ。
だがなんにせよ、いくらかの疲労感のためにもこの負荷は必要だ
吐き出すことがないぶん、これで補うのだ
昔、家庭教師モノのエロゲの主人公も、こうして身になり力になり
最終的にはそのからだをほしいままにすることとなった。
ルーティーンと言えば艦隊これくてぃおんはある意味で自分にあっているかもしれない。
ブライウザゲーなんてしたこともなかったが、思い出したころに開いてやってみる。
そして、それはたびたび思い出される。思ったよりも時間を食うゲームだ。
初期艦に選んだ駆逐艦の電さんは端的に言ってかわいい。
何よりも楽しいのはゲーム本編(?)というよりも図鑑で、ここで各艦娘さんたちが色々なことをほのめかす。それが史実めいていて、書いてあることと、それにあてがわれた音声の微妙なズレを楽しんでいる。例えば・・・や!のあるところを、それまでに聞いたことのあるその娘の声である程度補完しながら勝手に先読みしているのだが(快活な娘なら快活なりに)、そこで史実めいたこと、というよりも間違いなく起こったことをそれとなく言い去るときの、声を吹き込むとはきっとこういうことだと思わざるをえない、声にならない歴史の声がその裏に響き消えかけていくような気がする。そしていまは充実したwikiなりなんなりで、実際の海戦や、その艦の命運を、まぁ、だらだら読む。
〇六金物
たとえ人の命を奪うようなものだとは
君、君はいま、住所不定、職業不詳っていう立場なんじゃないのと言われる
まったくもってそのとおりだ!大笑い
だけれどもこうして、からだをそこそこ動かし、たばこを吸い、
ジュースを飲んでご飯を食べて、あとはテレビとネット
この4年間繰り返してきたことのなかでも、いまが一番楽しいと思えるようなかんじだ
これは実に不思議だ
今日は安い洗剤と、少しいい食器洗い用スポンジを買って、試してみた
それだけでいい日だ
今日は朝から日差しがまぶしいくらいで、少し窓を開けておいた
レースカーテンを引いた先に、薄くビルが立ち上がっている
いい日だ
生きることのある程度の適当さを教えてくれるもの全て
いい日じゃないか
去年は、僕は諦念が先に立っていた気がする
いまだって諦めているけれど、少し違うのは不安があること
ああ、なんて不安は、こうやってキーボードを叩かせてくれるのだろう
なんて不安は、こんなにもご飯を食べさせてくれるのだろう
なんで妹は大陸を超えて海を越えて旅行に行くのだろう
なぜ電車の乗り換えはこんなに緊張するの
どうやって定型が訪れるの どんな(...)朝起きて
みんながもうこちらを振り返ることがないように
ひとつの手ごたえを掴むのだろう
新聞が届く 届きはじめたらもうおしまいだ、足の裏にでも敷いちゃえ
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YOLO
最近観たもの
・千年女優
おはようございます
・電車道
買っただけで置いてる
・フルメタル・ジャケット
レナード
・鏡
タルコフ)
・ワイルド・スピード シリーズ
ゲームで言うと、ニードフォーシリーズではなく
グランドセフトオートじゃん
ピザ食いながら
直線番長
X3ではトーキョーが舞台、それまでの
ニトロ・ゲーから一転
ドリフト走行へと流れ着く
シフト・チェンジ・レバーが
踏み交わされたペダルとジャストにクラッチすれば
それは相次ぐ加速の合図
・U・ボート
ディレクターズ・カット版
3時間近くあっておったまげた
むかし、なんとかロードショーで観た記憶があるが
あれは小学生か
なぜ海は緑色なのか
水中での爆発とはあのような収束を辿るものなのか
そのときの潜水艦の軋みが
力って感じがして好きだ
見つからないためには
暗い海の底で
声すら立ててはいけないのだ
ところで
むかし、日本にも
自分が死ぬまでの時間を割り出してただその時の秒針を待ち続ける
人間魚雷があったらしい
どういうことなのか
死ぬまでの時間
死ぬまでの時間を計算する
出口のない海でみたのか
なんだったか
今日から新学期か
もうどうでもいいよ
そういうの
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もうひとつ
アメリカン・スナイパー
ということです。ふつうの文字の打ち方を切実に教えてほしい
こだわりがあっての文字の大きさ、フォントではないです
行間も気になる。
別に何があったわけではないが、いろいろあるしまだまだやっている映画なので
ネタバレ嫌な人は戻ってどうぞ
呼ばれているから観なくてイイやと豪語していたが結局観に行った
ぼくはあの映画館で、こうやって、坊主頭のときから
いろんな映画をみてきたな、そのなかでも最も重く帰り道を歩いた
そういうことが起こった。
まず、妹がこう言う。彼女と観に来る人もいるみたいよ。おもしろいけど、
二度目はいいかな、ずっと歯を食いしばり続けるんだって、そういうものらしいよ
観ているあいだ
なるほど。確かに、血もたくさん出るし、戦闘シーンも当然、特に僕は拷問が
苦手で、そういうものだ。
終わり間際、退役兵が「タマに響くぜ」と言うシーンがある。
主人公が、照準を覗くとき(…私はそういう用語、専門知識に疎い。なので、アホに見える)
スコープのむこうに目標を捕え続けるとき、その低い音響は
僕の腹の底へと向かって放たれたように感じる。そうして僕たちは
身構える、次に来る銃声のために
いま感じている、腹を震わせる音よりももっと強烈な、リーサルな衝撃が来る瞬間のために
いま、少し思うのは
僕はいくらか、いまの戦争映画(_?)が、どのような戦闘シーンを描くのだろうか
という、見物をしにいくような気持ちで向かったところがある
そうして実に、迫力のある(_)それらしい(_)リアルな(_)画が
実現されていた。そうしていま、少しそのとき、思うのは
戦争映画を、このような映画を、戦闘シーンで語るのは、もう少し時代遅れかな、ということだ。
少なくとももう僕はそのシーンについて、なにも言うことがない
そんな気がしている。
何故かと言うと、もちろん、この映画が(そしてこの映画じゃなくても)
戦争というものが、戦争は、戦場だけで完結するものではないからであるし、
構成上、主人公(実在の人物、そのモデル)は戦場と娑婆に行ったり来たりしている。
という、構成で形成されているからだ。(_)
僕が思うのは、戦場が大本営の発表、新聞、ラジオだけではなく、
ビデオなどの映像、携帯電話、そして多くの退役軍人によって、社会に世間に
僕たちの(_)僕の日常へと接続されているという、そのこと
だからどうしたと言うのだろう
か
いま少し恥ずかしいのは、僕はわずかでも
ふつうの!人よりは戦争(映画)に興味があったつもりでいるし、観てきたつもりでもいる
でもこの作品を観て、僕はなにも言えなくなってしまったという点だ
自分でもこんなふうになってしまうとは思わなかった
冒頭で重い、と言ったのは、もちろん血も、戦争も、たくさんあるけれど、
そういう点での話ではない
悪戯にでも人に銃口を向けること、伝説とまで呼ばれた主人公がPTSDの退役兵に撃ち殺されてしまうこと、
それが射撃訓練の場で起こったこと、彼の死が大勢の人に悼まれ、その背後に星条旗が掲げられたこと
遺族に星条旗が手渡されること(これはなんだろう)、下の毛も生えていないような子供を殺したドリルには
その音に振り向いてしまうのに「銃」自体に対しての描写が全くなかったこと、
弔砲の音に誰もが、奥さんが身体をすくめたこと、彼の自伝がいますぐにでも読めること
彼の自伝に、彼が彼の死についてなにも書いていないこと
そしてこの映画を
保守や賛美、左翼という言葉を組み入れて語る人たちがいること、そういう場があること
とにかくリアルだったという人がいること
感動するということ
僕は混乱している。
僕は何も知らないなぁと思う、そればかりが巣食う
僕は馬鹿だが、みんなも馬鹿だと思う
そういうことじゃないだろう
そういうことじゃないだろうということじゃないだろう
どういうことでもない
ただエンドロールの無音の時間に、僕がなにも考えなかったこと
そういうこと
もう今日はやめておく。
また次にする。